浄土真宗 本願寺派・善行寺
         西本願寺 川口布教所
   寺小屋日記 『 お寺をつくろう!』
The introduction of the Zengyoji Buddhist Temple.
      お寺生活の中での発見や活動レポート&一言のページです。

2007年

2008年・寺小屋日記はこちら

2006年・寺小屋日記はこちら
  2007年12月30日(日)
  一年の締めくくり!

 
 
2007年という一年が終わろうとしております。
 年をとった?!せいか、最近年月の過ぎ行く早さを感じ
 る住職です。


 善行寺もこの一年、多くの方々とのご縁をいただき少な
 からずの方々が手を合わすご縁をいただかれ、お念仏申
 す日々となられた事に 住職として『 ありがたいなあ・
 嬉しいなあ・』と心から思う最近です。


 住職として一番の喜び・・と言えば言い過ぎかもしれま
 せんが、法事や葬儀といったご縁で出会った方々が法事
 ・葬儀という儀式を終えて『 事足れり 』と“ 仏教 ”
 から遠ざかるのではなく、法事・葬儀といった仏縁から
 『 自らの後生の一大事 』として、仏教・浄土真宗の教
 えをいただかれるようになる事、これが僧侶として、又
 住職としての勤めであると共に、そうして手を合わすご
 縁いただかれた方が出てきてくれている事が、私の大き
 な喜びとなっております。


 先日もこんな事がありました。善行寺の子育てママサー
 クル“ マミコミ ”で行事があった時、参加されている
 ある親子がお寺に来られ本堂に入ってくるなり『 ナム
 ナムしよう 』と母子一緒に仏さまに手を合わされまし
 た。こちらが『 本堂に入ってきたら、まず仏さまに手
 を合わしましょう 』と言わなくても、当たり前のよう
 に自然と手を合わす姿・・。私にとって、決して当たり
 前ではなく、『 ありがたいなあ・・・嬉しいなあ・・
 ・』と思った瞬間でした。


 思えば、親から子へ、子から孫へ引き継がれてきた“
 合掌しお念仏申す姿 ”を、善行寺の子育てサークルを
 縁として、また引き継がれている・その事が嬉しかった
 と共に、善行寺という場があったからこそ、手を合わす
 ご縁となられた事が、ありがたかったのでした。
 そして、さらにそこには、自分のはからいや願いといっ
 たもの、例えば『 幸せになりますようにとか、ご先祖
 が成仏できますように 』といった、我の本意からくる
 打算的な願いの中から手を合わすのではなく、仏さまを
 目の前にして、ありのままに敬い感謝の念の中から自然
 と手を合わして下さっている姿が嬉しかったのでした。


 このブログをお読みの皆様も、どうぞ“ 手を合わすご
 縁をいただいた一年であった ”事に感謝させていただ
 きながら、一年を振り返っていただければと思います。
 今年一年、ありがとうございました。( 住職・誠光 )



  2007年11月20日(火) 
  若い力!( 若手僧侶編 )

  昨日、埼玉ブロック ( 組 ) 内のお寺の若院 ( 若住
  職 )がご結婚され、その披露パーティーに出席させ
  ていただきました。

  平服で!と書いてあったので、そのままの平服で
  参加してしまった住職 (笑)でありましたが、参加者
  を見て 『 スーツで参加すれば良かった!』 『 平服
  すぎたよー!』 という後悔を、同じブロック (組) の
  若手僧侶の仲間達が見逃すはずもなく?!『 K・Y
  ( 空気読めない) ですよー吉井さん! 』 と突っ込み
  の集中砲火を浴びる失敗がありましたが (泣) 、楽
  しく温かいパーティーとなりました。

  思えば、昨年の6月に善行寺を開設させていただき
  そこから、埼玉県内の浄土真宗本願寺派のお寺さん
  や御住職方とのご縁が始まったわけですが、1年と
  いう時間が過ぎ、若い御住職や次期後継住職となる
  僧侶達と冗談を言い合い、突っ込まれ・突っ込み・・・
  という中に、何の違和感もなく私が居る時間になって
  いたことに、あらためて 『 こんな私を受け入れてくれ
  たと共に、昔からの付き合いがあったように自然と接し
  てくれる若手僧侶方・・・なんだかあったかいなあ・・・
  そして、ありのままにありがたいなあ・・ 』 と実感する
  瞬間でした。
  
  お酒も程よくまわった頃、年齢の近いご住職方2人と
  話していた時、お寺の行事の話で私が 『 うち ( 善行
  寺 ) は新しいお寺ですから・・・ 』 と謙遜して話した時
  その御住職がこう言ってくれました。
  
  『 古いとか新しいとか、関係ないですよー!吉井さん
  みんな同じ思いで、一緒に教えを伝えさせていただく
  事が大切だと思いますよー 』 ・・・と。そして、それを
  聞いていた別の若住職も横で 『 うんうん 』 と頷いて
  おられました。

  この言葉に、なんだか“ しみじみ ” しましたねぇ。

  もちろん昔からあるお寺が、教えをひろめてこられた 『
  教化伝道 』 への尊敬の念を持ちながらも、『 そのよう
  にして過去から多大なご尽力のお陰で伝えて下さった
  教えを、これからどのように後世に伝えてゆくか・・・』
  という熱い思いから、『 新しいとか古いとか・・・ 』 という
  言葉で語っていただいたのだと思いました。

  そうなんだよな・・・場所や立場、そして歴史は違えども
  お寺はその教えを如何にして次の世代へ、そして今の
  世代に伝えさせていただくか・・・その力を協力して出し
  合い、共に喜ばせていただくのが 『 お同行 』 なんだよ
  なぁ・・・。と実感した住職なのでありました。

  埼玉ブロック (組) の若い僧侶達 ( 不肖・吉井も入れ
  ていただき )、一人一人の若い力が未来に続いていく
  事を喜ぶ夜となりました。

  でも次に、平服で!と書いてあるブロックの集まりの時
  はスーツ!で参加を肝に命じた?住職でしたねぇー。



  2007年11月10日(土) 
  ご縁の嬉しさ難しさ

  先月末、善行寺では子育てママサークル 『 善行寺
  マミコミ 』 が中心となり、“ 親子で参加!ハロウィン ”
  会を行いました。

  色とりどりのの衣装!を着た子ども達が、40名と親達
  35名の、合計75名がお寺に来てくれました!うちの
  狭い本堂 ( 内陣と外陣を合わせて12畳ほど ) には
  人人人・・・が溢れかえってしまい、子ども達が本堂で
  親達は外のデッキからのカメラ撮影の不便を負わせて
  しまい、住職として 『 せっかく来て下さったのに申し
  訳ない 』 思いで一杯でしたねぇ。

  始まるまでは 『 80名近い参加者が無事、楽しく参加
  いただけるだろか・・・』 と心配しておりましたが、ボラン
  ティアママ達やお父さんが運営スタッフとしてお手伝い
  下さり、各種アトラクションやお話も大成功!!事故も
  トラブルもなく無事に終えることができました。

  成功に終わった事で次の日に、あるボランティアママ
  は 『 燃え尽きたよ!』 と、あしたのジョーばりのメール
  を送ってくれる方もいらっしゃいました。(笑)

  参加者の方、ボランティアの方が一体となって善行寺
  でのハロウィン会を 『 楽しんでこよう!』 と思い、参加
  して、仏さまの前で手を合わすご縁として下さった事に
  なんだか“ コミュニティーの中の ”“ 日常生活の中の ”
  気軽な“ みんなの ”お寺!と認識しつつあるのかなぁ
  と嬉しく感じる住職でしたよ。

  思い返せば1年前にも、善行寺ではハロウィン会を実施
  してました。その時の子ども達の参加者は17名、親達
  を合わせ35名程だったように記憶してます。

  今年はその倍以上!の参加者を時間通りに、無事終え
  ることが出来たのは、ホント 何の見返りもなくお手伝い
  を快く受けて下さり、子ども達を楽しませてあげよう!と
  いう思いで参加されたボランティアママ&お父さん方の
  お陰であったなあ・・・と実感するんですよね。善行寺(
  川口布教所)が開設され1年・・。なんだかあったかい
  気持ちを参加者の皆さんからいただいたハロウィンで
  した。

  一方で、熟年以上の方とのご縁はホント一歩一歩の
  状況ですね。(悩) 若い世代の方々が、敷居を感じず
  に気軽にお寺に立ち寄り、行事に参加下さっているの
  とは対照的に、お寺との距離を持つ方が多いように感
  じます。

  法事を執り行ったり、ご相談にお見えになられた方は
  せっかく仏教とのご縁をいただかれたのに、その後は
  なしのつぶてという方も多いですね。理由をうかがうと
  『 お寺とご縁を持つと寄付を求められるんじゃないだ
  ろうか・・』『 仏事(法事)以外ではお寺に行く用もない
  しスケジュールが忙しい・・ 』『 仏事の事を知らない
  のでお寺に行って恥をかきたくない 』 『 仏教がなく
  ても生きてゆけるから・・』 などなど。よく耳にする言葉
  ですね。

  気持ちはわかる!過去にそういう事があったのかも知れ
  ない!でもね、法事が済んで 『 はい サヨウナラ!次の
  法事の時にはよろしく!』 じゃ、寂しいじゃないですか。
  貴方の都合で 『 お経を配達 』 してるのが、お寺でも
  僧侶でもないんだぞー。生涯をかけて顕かにされた
  お釈迦様と、親鸞聖人の浄土真実の教えを法事等の
  ご縁を通して自らのこととして、いのちの行方として、
  大切にいただいてくれよ!

  と・・・口には出さず、心で泣いている住職なのですよ。
   『 法事にお坊さんに来てもらって、お経をあげてもらい
  布施を渡したから、事足れり・・・』 という都会での風潮
  が悲しくなる、センチメンタルな34歳・浄土真宗本願寺
  派・住職なのであります。

  なんだか愚痴ぽくなって、私らしくないのですが、前者
  も後者も、私のはからいを超えた 『 ご縁 』 なんでしょう
  なあ・・・・諸行無常、諸法無我。 合掌




  2007年10月30日(火) 
  One for all 〜 ひとりがお寺の為に 〜

  先日、善行寺の寺報 ( Zengyoji Report ) の第10号
  を発行させていただき、ご門徒の方々や、ご縁のある方
  へ郵送しましたが、ご覧になられた方はお気づきの方も
  いらっしゃるかと思いますが、今月号・実は印刷がかなり
  劣化 ( インクにじみ ) し、落丁が激しい出来 ( 泣 ) と
  なってしまいました。

  また 『 住職のひとこと 』 が、下の9月20日付ブログの
  内容でありましたので、一層・善行寺の印刷カテゴリー
  が強調される結果だったかどうかはともかく、郵送後に
  住職の遠縁にあたる宮崎県・都城市、摂護寺の副住職
  さんから電話が入りました。

  てっきり 『 今月の寺報は読みにくい!』 とお叱りを受け
  るのかとブルーになっておりますと、『 摂護寺として印刷
  機 ( プリンター ) を一台を贈呈したいと思うのだけど・・
  どうかね? 』 というお話でした。

  読みにくい寺報、時間がかかり落丁や紙の巻き込みの
  激しい旧式プリンター・・・それをお読みになった時、何か
  してあげたい、何か出来る事はないだろうか・・・と考えて
  下さった気持ちがありがたく、嬉しく、そして心から励まさ
  れる思いをいただいたのでした。

  ふり返れば、お寺を開設させていただき一年・・・。
  摂護寺はもとより、多くの御住職方からの支援や励まし
  そして、物心両面においてのサポートをいただいていた
  事を、ふり返らせていただくご縁でありました。

  そればかりか、この一年の間に善行寺とのご縁をいただ
  かれた方々や、ご門徒さんで 法話会に手作りの羊羹を
  持参され茶話会に彩りを加えて下さった方、『 法話会に
  参加させていただくのが楽しみ 』 と、あたたかい言葉を
  毎回かけて下さる方、子ども会やママサークルで使う竹
  を調達しに行って下さった方、また それを夜の遅くまで
  かかって加工して下さった方、又 進んで子ども達への
  教育ボランティアになって下さった方や、各種イベント会
  での準備に駆けつけて下さった方々・・と、数え上げれば
  きりがない程、多くの方々の支援でお寺が運営されてき
  た事に気付かされました。

  One for all , All for one. ( ひとりが皆の為に、皆がひとり
  の為に・・・)

  私自身、この言葉をまさに心からいただいた瞬間でした。
  ご住職方、寺族方をはじめ、ご門徒さん、善行寺近隣の
  若い世代のご家族、善行寺主催の多くのサークルに参加
  されている方々・・・・実に多くの方々、ひとりひとりが自分
  のできる範囲で、できる分野で 『 善行寺というお寺の為に
  浄土真宗の教えの為に・・・』 ありのままの思いの中から
  サポートして下さっていたんだなあ・・・と感謝の念を心から
  いただいた瞬間でした。
  
  なんだか殺伐とした現代社会の中で、あったかい心と共に
  そのご縁としての 『 あったたかいお寺 』 という存在に気付
  かせていただいた、一本の電話でした。



  2007年9月20日(木)
  お寺通信 (寺報) 10号! 

  今月、善行寺の “ お寺通信 (寺報) ” が 発行10号
  を迎えました!

  昨年 ( 2006年 ) の6月に、川口布教所・善行寺と
  して寺院 ( 布教所 ) を開設し、11月に正式に開所式
  を終えた次の月、すなわち昨年の12月から近隣の方
  や善行寺とのご縁をいただいた方に毎月、発送させて
  いただいております。

  内容は、当ホームページの内容が、ほぼそのまま(笑)
  であります。良く言えば、情報発信の共通化・標準化。
  悪く言えば、ズボラ?手抜き?(汗) であるかも知れま
  せんが、インターネットを見ない方や、ご高齢の方など
  には、紙で書かれた “ お寺通信 ” が好評であったり
  するのであります。

  発送させていただいているご家庭は、一度でも善行寺
  とのご縁があった方や、お寺に尋ねて来られた方の中
  で希望される方、更には近隣の方などを中心に発送を
  しています。

  紙面は、なるべくイラストや写真を用いた構成を・・・と
  欲張ったお陰で、印刷に時間がかかる!んですよね。
  なぜかと言えば、校正ソフトは文章がマイクロソフトの
  ワード、写真部分とタイトルバナーを キャノンのズーム
  ブラウザEXというのを使っており、文章と写真&バナー
  部分を違うソフトを使っている関係上、印刷行程が2度
  手間になってしまっております。

  B4サイズで両面×2枚が1回の “ お寺通信 (寺報) ”
  ですので、1部を刷るのに、合計8回もプリンターを通し
  ているのであります。これが時間がかかる!(笑)

  また、プリンターは先日購入した ( 当ブログ・7月20日
  参照 ) 新作では、A4サイズまでとなる為、A3〜印刷
  可能な旧型のキャノンのピクサスを使っているので
  また一段と遅い・・・!

  たった50部を刷り上げるのに、毎回約3時間かかって
  おるのであります。その間、住職は “ のんべんだらり ”
  と片手団扇で待てれば良いのですが、、プリンターの
  横で、排出されてくる 印刷されたばかりの用紙を1枚
  また1枚と、お岩さんの如く 数えながら乾燥棚に移して
  いるのであります。そうしないと、インクが乾ききらずに
  別の用紙にインクがついてしまう・・・・って書いているだ
  けで悲しくなってくる、毎月のお寺通信の発行作業なの
  であります。

  正直、隔月の発行にしようかとも思う時もありましたが
  そんな時に、読んでいただいている ご門徒さんやご縁
  のある方から、励ましや感想をいただいたり・・・・という
  のがあって、励みにしながら毎回、いえ毎月 お岩さん
  をさせていただいております。

  先日も、お寺通信を発送させていただいている ご縁の
  ある方から、こんなハガキをいただきました。

  『 残暑御見舞い申し上げます。
    酷暑が続いておりますがいかがお過ごしでしょうか。
    今月も善行寺便りをお送り下さり ありがとうございま
    した。
    思えば、4月に母の法事を執り行っていただいたご縁
    から毎月送られてくる通信は、私達に安らぎをもたらし
    故郷を離れていてもいつも亡き父母が近くに居る様な
    感じさえします。
    毎月の法話会に、一度参加したいと思っているのです
    が、雑用に追われ未だに叶いません。
    お寺の前にかけてある法語も、ホームページで読ませ
    ていただいております。
    御住職のおっしゃる 人と人とのご縁を大切に、また
    たった一度の今日という日を いとおしみ、生きて行き
    たいと思います。
    暑さ続く折、どうぞおいとい下さいませ。 』

  様々な事情で、お寺にお見えにならなかったり、連絡を
  いただけない方もいらっしゃいますが、顔が見えなくても
  寺報を楽しみにされている方がいらっしゃり、寺報の中の
  法話から、日々の元気!とされている方もいらっしゃる姿
  に気付かせていただくとともに、一期一会を大切に思い、
  今日という日を前向きに歩まれている姿に励まされた
  住職でありました。

  ペーパーレス、ネット社会、デジタルコミュニケーション
  と言われる現代社会だからこそ、私が言うのもなんです
  が、“ ジーココ・ジーココ ” と 3時間もかけて印刷される
  『 善行寺通信 』 に愛着が湧くと共に、なにかしら紙の
  あたたかさというものをいただた住職なのであります。

  これから、善行寺が存続する限り&住職が健康な間は
  この “ ジーココ・ジーココ ” の3時間を続けて行きたい
  なあ・・・と心から思いました。

  ( 今後、善行寺のご門徒さんや、ご縁のある方が増え
  印刷数も増えたら、どないしよう・・・・(汗))



  2007年9月10日(月)
  お寺を探そう!

  最近、 『 49日法要をしていただきたのですが・・・』
  『 100ヶ日法要をお願いしたいのですが・・・』 など
  法事に関する お問い合わせを 善行寺にいただく事
  がありますが、少し気になる?事が多いので、今回
  は この件を取り上げたいと思います。

  49日法要のご依頼があり、必ずこちらからお伺いする
  のが 『 お葬式はどちらのお寺さんにお勤めいただき
  ましたか? 』 『 出身地 ( 地方 ) でご門徒になって
  おられるお寺はありますか? 』 という点であります。

  そうしますと、ほぼ100%に近い確率で 『 菩提寺は
  ありません ( もしくは分かりません )、通夜・葬式には
  葬儀社さんの紹介でお坊さんに来ていただきましたが
  どこのお寺の方かは分かりません 』 とのお答え。
  お寺へ連絡をとる手段さえないとの事です。

  また、運よく?!連絡がとれたとしても、通夜・葬式を
  勤めた人 ( あえて僧侶とは書かない!) から、『 うち
  では 49日法要はしない ( できない ・ お寺がない )
  ので、住んでいる地域のお寺を探してお願いしなさい
  と言われました 』 といったお答えの他、『 通夜・葬儀
  とは全く関係のないお坊さんが49日法要に来て戸惑
  っている 』 というお答えの多さに驚きます。

  愛する方や、大切な方がご往生され頭が一杯なのは
  私も人の子としてよく分かりますし、葬儀のプロの方
  にお任せすれば、まず安心だろう・・・というのもわかり
  ます。又、こういう時代と世相でありますので、通夜と
  葬式だけ、しっかりお勤めしてくれれば、どこのお坊さ
  んでも構わないし、その後のお寺との付き合いは考え
  ていない・・という ご葬家が増えているのも実状であり
  ます。

  それぞれの考え方や、ご葬家の事情というものもある
  でしょうから、一概に 『 間違っている 』 と申すつもりは
  ありませんが、『 本願寺派の正規のお坊さんに 読経を
  してもらいたい 』 と願われ、『 愛する方や、大切な方の
  死 』 という ご縁を通して、今後の仏事をお考えであり、
  『 私に向けられていた仏の教え 』 である事を聴聞させ
  ていただこうかな・・・・という気持ちがおありなのであれ
  ば、浄土真宗本願寺派 ( 西本願寺 ) から承認を受け
  包括を結んでいる正規のお寺教会・布教所を探しま
  しょう。

  又、喪主などの立場になられた時は、『 今後の法事
  も同じお寺さんにお願いしたいので、未承認のお寺で
  なく、浄土真宗 本願寺派の正規のお寺さんをお願い
  します 』 と葬儀社さんにお伝えされるか、首都圏なら
  東京都中央区の築地本願寺に問い合わせてもらうの
  がよいでしょう。
  
  また、葬儀社さんに紹介していただいたお寺が本当に
  実態があるお寺か、浄土真宗 本願寺派 ( 西本願寺 )
  のお寺かどうかも通夜までに確認しておきましょう。
  ネットでも確認できますのでご参考下さい。

  実際に、ご葬家が仏事やお寺の知識がない事に つけ
  込み、本願寺派の僧侶でない ( 得度も受けていない )
  ニセ僧侶や、在家僧侶と称して本願寺とは全く関係の
  ない通信講座等を行い、本願寺派の僧侶であると偽っ
  ている者が、通夜・葬儀や法事を執り行っている現実
  が、インターネット上他で確認されております。

  愛する方、大切な方の死をご縁として、自らのいのち
  のゆくえを聞かせていただく ご法縁である通夜・葬儀
  でありますから他の人に任せっきりにせず、仏教・仏事
  との “ ご縁 ” という意識を大切にしてほしいと思います
  し、『 死んでからお寺 』 ではなく、生きている この今か
  ら お寺と仏教との出遇いを持っていただく事が、一番
  大切ではないかと住職は思うのであります。

  みなさんも、今から お近くのお寺探しをして、ご自身の
  いのちの おいわれを聞かせていただくご縁としていた
  だければ、と切に願います。

  注) 上記記載以外のご寺院で、現在 浄土真宗本願寺
      派の各組 ( ブロック ) との間で、承認にむけた
      取り組みをされている お寺もあります。
      詳しくは、築地本願寺や、東京教区教務所などに
      お問い合わせ下さい。



  2007年8月20日(月)
  Just in time! 

  善行寺をお預かりする住職 ( 専従員 ) として、日々
  法務 ( 通夜・葬儀、法事、会議など ) への出席の
  為、走りまわっておりますが、その大きな役割となる
  のが、お寺所有の自動車 ( 公用車 ) であります。

  2年前、都市開教 ( 都市部を中心とした過密地域で
  新たなお寺をつくるプロジェクト ) に歩む為、東京の
  築地本願寺内で研修を受けていた時に、ネットで探し
  格安の中古車!を見つけたのが、今の公用車となっ
  ております。

  日産自動車のプリメーラ ( 排気量2000cc・平成8
  年式セダン ) の紺色です。車体価格は業者さんの
  表示価格の手違いもあり、格安・・・いえ激安!での
  購入でありました。( 値段は内緒!にさせて下さい )

  それから2年・・・。研修を受けていた住職も、お寺の
  ( 布教所 ) 責任ある立場となり、多くの法事や葬儀
  そして、お寺の会議や講義、視察などの第一線の
  場に投入され、毎日のように走り続ける日々を迎え
  ることになりました。

  その場、その時の状況がどうであれ、止まることなく
  時間通りに予定地に着く!JUST IN TIME の活躍
  の大きな力となってくれた、善行寺の激安プリメー
  ラでありました。

  2年間の走行距離・5万5000`!地球を一周以上
  する距離を、故障無く走り続けてくれた公用車も、総
  走行距離が10万`を超し、先月から故障 ( 冷却
  ファンモーターの不良 ) やエアコンの不具合 ( コ
  ンデンサー故障 ) 、そして部品の欠落 ( マフラー
  パイプが せん断 ) などが見られるようになってき
  ました。

  どのような事情であれ、時間に遅れる事が許され
  ない立場にあるのが、住職という立場であります。
  葬儀に遅れると、ご遺族や葬儀社に迷惑がかかる
  だけでなく、火葬の時間にも間に合わない!という
  事態にもなり兼ねない状況の中を走り続けている
  立場にある者として、この10月に迎える車検を通
  して乗り続ける・・・・という判断は諦めざるを得ない
  状況となり、この車を手放し、新たな公用車の導入
  を決めました。

  諸行無常・・・まさに、その一言で顕されている現
  実の姿ではありますが、でも 雨の日も風の日も、
  住職の気持ちが落ち込んだ日も、心晴れ晴れの
  日も(笑)共にあった公用車でありました。中古車
  で、私の元に来た紺色の公用車。何人かのオーナ
  ーの手を経てもなお、JUST IN TIME の為に走り
  続けてくれた姿・・・それは、まさに 諸行無常の姿
  を、そしていのちある限り精一杯 役割を果たしてく
  れた現実を、最後に私に教えてくれたんだなあ・・・
  といただきました。

  『 生あるものは かならず死に帰するは
   世のならいなりといえども・・・・ 』
  
  葬儀の席でお読みする表白の一文・・・なんだか
  それが、今の私にはずっしりと、そしてありのまま
  にいただく住職でありました。



  2007年8月10日(金)
  敷居の高さ 

  お寺では、日々さまざまな問い合わせや質問
  をいただきます。法事のご相談や、法名につい
  ての問い合わせの他、水子供養や人形供養
  などのご質問など実に多種多様にわたってい
  ます。

  電話でのお問い合わせやご質問以外にも、寺
  へ直接伺ってご相談したい・・・というご要望も
  いただきます。が、お越しになられる方々で
  熟年やご高齢の方々は、たいていお寺の場所
  がわからず迷われます。

  ホームページでもお寺の地図を出しております
  が、お越しになられる方々は 『 お寺 』 をイメー
  ジして来られるんですよね。すなわち、瓦屋根
  の本堂、玉砂利がひかれた境内等など、いわゆ
  る 『 想像している お寺らしいお寺 』 の印象を
  持っていらっしゃいます。

  が、私共・川口布教所・善行寺は、設立されたば
  かりのお寺。しかも現在は、一般民家の1階部分
  を手直しして本堂としておりますので、寺院の表札
  看板を出しているとはいえ、外観から見れば どれ
  が一般住宅で、どれが善行寺だか、見分けがつか
  ない!のが現実であります。
  
  こちらとしても、お越しになられる方々にわかり難く
  て申し訳ないなあ・・・と、常々思うところですね。

  でもそうして、善行寺を見つけて来られる方々にも
  十人十色の反応や、感想を述べられます。お問い
  合わせのあった方々へは、『 善行寺は現在 民家
  で仮寺院運営をしておりますので・・・ 』 と案内して
  おりますので、お越しになられても、想像通り?!
  といった印象ですね。

  でも、以前1回だけこんな事もありました。うちを探し
  てお越しになられた熟年のご婦人が、うちを見るなり
   『 これがお寺ですか?』 とおっしゃった後で、『 この
  近くで もっと立派な浄土真宗本願寺派のお寺はあり
  ませんか?』 と尋ねてこられました。

  もちろん丁寧に、善行寺の周りの既存のお寺をご案
  ないさせていただきましたよ・・・でも、心の中は泣い
  ておりました。思えば、お寺という基盤も ご門徒さん
  という地盤もない 正にゼロからの出発が、新たに
  お寺をつくる!都市開教の現実であり、今の善行寺
  の姿であります。一歩一歩、仏法を共に喜ばせてい
  ただくご門徒さんとのご縁をいただき、数十年、数百
  年経って、はじめて外観もお寺らしい?お寺となって
  ゆくのが現実でありましょう。

  でも、お越しになられる方々からすれば、立派な寺院
  の伽藍といった見栄えや、歴史を求めておられる方々
  も少なからずおられ、それがお寺とのご縁を結ぶ大き
  な判断材料とされている方がいらっしゃる現実を教え
  ていただいたように感じました。

  それから数週間後、あるご門徒さんがふらっと善行
  寺へ寄って下さいました。お茶を飲みながら まだ30
  代のそのご門徒さんとお話をしておりましたら、その
  方が、こんな事をおっしゃって下さいました。

  『 もし、善行寺さんが門構えの立派な、伽藍の大き
  なお寺だったら、私は敷居の高さを感じて、善行寺
  さんへ来ることが無かったと思います。
民家のお寺
  だったからこそ、気軽に来れましたよ。』 と。

  敷居の高さ、それはお寺との距離感であり、お寺に
  対する思いであったんだなあ・・・といただきました。
  そして、わかり難い 『 一般住宅仕様の善行寺 』 が
  人によっては、お寺としては近い存在になって下さっ
  ていたことを、ありのままに嬉しく思いました。

  本堂に20人も入れば、満堂となる小さな小さなお寺
  善行寺ではありますが、だからこそ 皆様の日常生活
  の中において、心の距離の近いお寺づくりを目指して
  ゆきたいな・・・と思った住職です。



  2007年7月20日(金)
  デジタルとアナログ 

  先日、複合機プリンターを お寺で購入しました!
  プリンター・コピー・スキャナー等の機能がある
  E社製が、近くの量販店で安くなっていたので
  財布 ( 寺院財政 ) と相談し、悩みながら買った
  ものです。 ( でも 2万円を切る価格でした!)

  これは、お寺で行われる行事や活動などに参加
  
下さった方々に、デジタルカメラで撮った写真を
  すぐにプリントアウト&お帰り際には持ち帰りい
  ただけるよう
にしたいなあ・・・と思っていましたの
  で、購入の決断となったものです。

  思えば、お寺が設立されてから行われた数多く
  の活動や行事などの場で、デジカメでの写真を
  撮り保存してきました。大容量のメモリーに保存
  しておけば、いつでもパソコンで見れますし フィ
  ルム式の写真のように、写真画も像劣化しませ
  んので、大変重宝していました。

  最近は、デジカメで撮ったデータ ( 写真 ) を
  パソコンのメモリー ( 内部 ) に保存するだけ
  ではなく、パソコンでアルバムのように見れる
  機能や、写真にタイトルをつけたり、ふち飾り
  を設定したりして、写真 ( 紙 ) として出さなく
  ても、綺麗で楽しい画像が見れるようになって
  いますので、今までのような ( 紙の ) 写真に
  なんら必要性は感じていなかったんですね。

  でも、ちょっと前に お寺の行事に参加下さっ
  ている ご家族から、デジカメで撮った画像を
  プリントアウトしていただくご縁がありました。

  あらためて、紙となっていただく写真に なん
  だか新鮮な感じがしました。ドキドキしながら
  プリントアウトされるのを待っていた昔の頃の
  心境を思い出したんですよね。 『 自分の顔は
  格好良く撮れているかな?(笑) 』 『 夜の景色
  上手く撮れているかな・・・ 』 なんて思いながら
  写真が出来上がるのをまっていた時間と心境
  を、ふと思い出しました。で、出来上がった写真
  を友人や家族と見ながら、皆でワイワイ言って
  いた時間があったよなあ・・・なんてしみじみし
  た次第です。

  思えば、技術や生活のサイクルが便利になり
  今まで時間がかかっていた事や、動作が短縮
  されたり、今まで見ていたものや聞いていたも
  のが、全く別の媒体で済むような消費社会の
  中に私達はいますが、だからこそ時間がかか
  ったり、手間がかかったりする事に、懐かしさ
  や、そのものの大切さなんかを実感できるの
  かも知れませんね。

  デジタルの社会だからこそ、アナログの大切
  さや、あったかさが実感されるんだなあ・・・
  と思いました。

  思えば、お寺もそうだと思うんですよね。

  時代や社会が変化しても、大切に守り、そし
  て伝え続けている 仏教の教えや作法、習慣
  など、何百年と変わらずものが多くあるなあ・
  という事を、あらためて教えていただいたよう
  に感じます。デジタル社会の中、画面を通し
  て過ごす社会だからこそ、時には 『 抹香臭
  い 』 とか 『 辛気臭い 』 と思われるお寺です
  が、そこに、変わらないアナログのあたたか
  さや ふれあいなんかが残されているんだと
  思いましたし、善行寺もデジタルの現代社会
  の中で、デジタルを織り交ぜながらも、アナ
  ログの 『 庵 』 でありたいなあ・・・なんて感じ
  た住職です。



  2007年7月10日(火)
  多くのご縁! 

  毎月、善行寺では さまざま行事や活動が行われて
  います。川口市の北東部の この地に善行寺を開所
  させていただき1年・・・。

  当初はお寺に参拝される方はもとより、行事や活動
  をしようにも知り合いもなく、以前住んでいた同じ埼玉
  県内の市で知り合ったご家族、数家族での寄り合い
  が出発点でした。

  その後、お寺の前の公園で知り合ったご家族や、子
  どもつながりなどから、ご縁が広がり、今では善行寺
  で毎月開催される、さまざまな行事に出席いただくだ
  けでなく準備や、後片付けへのご協力をいただいてい
  ることを最近、本当に 『 ありがたいなあ・・・ 』 と実感
  させていただいています。

  皆さん それぞれ、自分の得意な分野でのお手伝い
  をしてくださっています。料理を教えるのが得意な方、
  日曜大工やリペアーが得意な方、英語が話すのが
  得意な方から、子ども達に読み聞かせをするのが
  得意な方など等、数え上げたらきりがありませんが
  善行寺に来て下さっている方々は、本当にそれぞれ
  の得意分野を持ち寄って下さり、それを来られている
  他の方々や、皆で集まる行事などの場で Share (
  共有 ) して下さっているように感じます。

  『 最近の若い者は自分の事しか考えない・・・ 』 と
  マスコミなどで批評批判されがちな若い世代ですが、
  私は決して そんなことはないと思っています。
  人間ですから完璧な方なんて まずいないでしょう。
  しかし、それぞれが、持っている 得意な分野や手伝
  える箇所で活躍できる場や、発揮していただく環境と
  いうものが少ないだけなのではないでしょうか。

  ゼロからの出発であった善行寺が、さまざまな活動
  や行事が今、できているのは こうした一人一人の
  持ち味 ( カラー ) や得意分野を発揮して、お手伝い
  いただいているからこそだなあ・・・って感じるんです
  よね。

  年が若かろうが、年老いてようが それぞれが持って
  いる持ち味やパーソナリティー、そういったものを
  一つでも提供していただくだけで、大きな力となり、又
  素晴らしい新たなご縁につながってゆくことを実感し
  ています。今ね、こうして出遇わせていただいた 多く
  の方との出遇いのご縁、まさに 仏様からいただいた
  ご縁であり教えであったなあ・・・と心からいただきま
  した。



  2007年6月15日(金)
  説くお寺から聴くお寺へ 

  5月の中旬から、地方新聞 ( 神戸新聞・岐阜新聞を
  はじめ、共同通信社配信の地方紙 ) に、当寺院 (
  浄土真宗 本願寺派 川口布教所・善行寺 ) の活動
  記事が、写真付きで紙面で紹介 ( 題名 / 光が見える
  〜 再生への助走 〜 ) されています。

  これは新たに開設された当寺院が、地域の方々、特に若
  い世代の親達や、子ども達に開かれたお寺づくりと共に、
  新興の住宅地の中で 『 家族や親子で参加できる季節の
  行事や活動 』 に取り組んでいる “ 挑戦する新たなお寺
  の姿 ” として記事になったものです。

  記事の扱いとして大きい所は、朝刊・1ページの4分の3程
  を割いて下さっていただいている所から、4分の1程で夕刊
  に配信されているところまで様々ですが、既に掲載された
  地方にお住まいの方々から、多くの励ましやご質問、問い
  合わせのメールや手紙、お電話をいただいています。

  お名前を名乗って連絡してくださる方から、匿名でのメール
  や手紙で、悩みや感じている事を ありのままに綴って下さ
  る方まで さまざまですが、多くの方が 『 聞いて欲しい!』
  と感じる事を抱えながら、日常の日々を過ごしておられる
  事を あらためて実感させていただくご縁となっています。

  『 説くお寺から聴くお寺へ 』 というタイトルを ある新聞社が
  付けて下さっていましたが、まさに 『 その通りだなあ・・・ 』
  『 そうあるべきだなあ・・・ 』 と 住職自らいただきます。

  お寺と言えば、住職の話や ご講師の先生の法話や説法を
  聴くのが中心ではありますが、私を含め 現代社会に生きる
  方々の悩みや苦しみ、そして日々の生活の中で訪れる喜び
  や嬉しさといったものを 『 ありのまま 』 に 言葉は悪いです
  が、『 吐き出せる場 』 でもいいと、私は思っています。

  『 こんな事を住職に言ったら、失礼に当たるのではないか 』
  ではなく、『 住職に聞いてもらいたい!だから、お寺に行って
  みよう 』 と、実際お寺まで来ていただく方が 私は自然である
  と思います。実は、先日の法話会でも 参加されている方々に
  同じ事を述べ、『 思っている事、感じている事は、遠慮せず
  どんどん話してみましょう!それが うちのお寺のカラーにして
  ゆきたいと思っています 』 とお話しさせていただきました。

  色々な思うことや悩みを抱えながらも、そういった悩みや苦し
  みを“ 吐き出せる場所 ” が、現代社会の中に少なくなってし
  まっている事を感じると共に、そういった受け皿として 『 信仰
  すれば病気が治る 』 『 入信すれば事業が上手くいく 』 『
  不幸がなくなる 』 と勧誘する宗教団体や、占い・まじない・
  祈祷・スピリチュアルといった、根本解決に全くつながらない
  所へ多くの方々が流れている現実に、危機感を覚えます。

  苦があるからこそ、その苦の原因を悩む・・・それが人間界の
  現実の姿であり、お釈迦様が2500年以上も昔に 『 苦界 』
  と説かれた人間界の 『 ありのままの姿 』 ではなかったでし
  ょうか・・・。 思えば、その苦から逃げ、その苦を除去する為
  の生き方ではなく、苦と向き合い、苦と共に歩ませていただ
  く生き方が大切であると共に、その歩みを教えていただいて
  いるのが 『 仏教 』 であると 私はいただきます。

  とはいえ、『 苦しみが訪れ、悩みが絶えない日々 』 を歩んで
  いる時、私達は不安になり・孤独になり、『 何か間違った事を
  してしまっている報いではなかろうか 』 と感じてしまう姿があ
  るのも事実でありましょう。だからこそ、『 悩みや苦しみだけ
  でなく、喜びや嬉しさを 思いのまま吐き出せる場所として 』
  お寺という存在、善行寺という場があっていいと 私は感じて
  おります。

  人は決して一人だけで、この世界を歩んでいないのですから
  他の人と、その苦しみや悩み 喜びや嬉しさを 『 ありのまま 』
  に表現できる場と時間があったっていじゃないですか・・・・。

  心の中の苦しみや悩みは、落ち葉のように掃いても掃いても
  日々の暮らしの中で 心に降り積るものですが、その落ち葉を
  掃こうと思ったご縁と、掃いた瞬間に 『 明日も頑張って生きて
  ゆこう!』 と思える 時間と場所が、現代社会に生きる私達に
  は必要である と言えるのではないでしょうか。

  そういった場所と、過ごす時間が お寺であり、そのような存在
  として、これからも “ 善行寺づくり ” を心がけてゆきたいと感
  じた住職でありました。



  2007年6月5日(火)
  寺報の発送から 

 6月1日、善行寺も開設から1年を迎えさせて
 いただきました。年をとったせい?!(笑)で
 しょうか、あっという間の時間であったように
 感じます。


 思えば、1秒1秒の積み重ねが1分となり1分
 1分の積み重ねが1時間となり・1日となり・
 10日となり・・2度と戻れない過去となって
 しまった時間が、この1年にはあるんだなあ・
 ・・と、ちょっとしみじみ実感する住職です。

 開設当初から、築地本願寺(東京都・中央区)
 と西本願寺(京都府・京都市)の支援があった
 とはいえ、お寺とご縁のあった方はゼロからの
 出発でした。

 その後、インターネットをご覧になられたり、
 法事をお勤めしたり、通夜・葬儀を執り行わせ
 ていただいたりと、一つ一つのご縁をいただき
 多くの方へ寺報を送らせていただいていること
 を感謝します。

 しかし、何度となく悩む瞬間もあったのも事実
 です。通夜・葬儀や、法事を執り行わせていた
 だきながらも、その後 ご連絡がない方がいらっ
 しゃるのも事実です。せっかくのご縁、それは
 愛する故人との『 死 』という別れを通して、
 残されたご遺族お一人お一人の『 いのち 』の
 解決へのご縁、すなわち『 生死出ずべき道 』
 としての仏教への出発点としていただきたい・
 ・・と、こちらが願いつつも 『 法事や葬儀で
 お経をあげてもらう 』形だけの“ その場限り
 仏事 ”に、少なからぬご遺族が、満足されて
 いる現実が現代社会にあるのも事実でした。


 『 はたして、寺報を送ることに意味はあるのだ
 ろうか 』『 読まれてもいないかも知れないの
 なら送るのを控えた方がよいのではないだろう
 か 』幾度となく感じたことでしたし、連絡を
 いただけないご家庭への寺報配送をやめようと
 思うことも何度もありました。

 しかし・・・一期一会・『 たった1回でも住職
 やお寺とご縁があったものをやめてしまうのは
 せっかくのご縁をこちらから切ってしまうこと
 になるのではないだろうか。音信がなくても
 1年は続けてみよう。 』と思い、継続させて
 いただいております


 『 出遇いと別れ 』が絶えず訪れる諸行無常の
 世界にいる私達ですから、『 来るもの拒まず
 去るもの追わず 』の姿勢でいかないといけな
 いんでしょうけど、ついつい結果や反応を求め
 てしまう『 凡夫の姿 』であったことに、住職
 自らあらためて気付かされ反省させられました。


 こうして多くの方との出遇いと別れの1年でし
 たが、1年1年の積み重ねが10年となり100
 年 となり・・・住職の自坊( 実家の寺 / 石川
 県・羽咋市 )のように、ふり返れば450年と
 いう歴史になってゆくんだろうなあ、と感じて
 います。


 出遇いと別れを通して、日々・一歩一歩と歩ませ
 ていただきながら、それが人生の積み重ねとなる
 ・・・。『 なんだか、私達の人生と少し似ている
 よな・・・お寺も 』と実感させていただいた住職
 でもあります。




  2007年5月20日(日)
  お寺への道・2 

  浄土真宗本願寺派 川口布教所善行寺。 長いタイトル
  ですが、これがうちのお寺 ( 布教所 ) の正式名称です。

  お寺と申し上げておりますが、正式な建物や、所有権の
  ある土地建物というものは、これからの段階ですので、
  今現時点で言えば、仮寺院 ( 布教所 ) というようになり
  ます。

  お寺といっても、新たに設立する際に 大きな本堂を建て
  て、開基となることは殆ど ( 全く? ) ありませんので、
  うちの宗派の場合ですが、新たにお寺を建立された先輩
  方も、最初は一軒家の借家から始められたり 一般住宅
  を購入されて居間の一部を改装して本堂として始められ
  るケースが お寺の出発点となるのが現状です。

  お寺を新規に建てるとなると、一般住宅用地より 土地の
  確保 ( 広さ ) はもちろんの事、本堂スペースの検討や
  建て方においても工場規格とはいきませんので、大きな
  伽藍と広い境内というものでなくても、金融機関からの
  借財は、大きくなってしまうのが現状でもあります。

  善行寺も 昨年6月に開設されたばかりで、現在一軒家
  を借りて、1階リビングに、参拝に来られた方々のお座り
  いただく外陣 ( げじん ) を、ダイニングには、仏様をご
  安置する段と厨子を設置し、お花やロウソクを置く前卓
  を配置し内陣 ( ないじん ) として本堂の機能を持たせ
  ております。
  
  まさに仮本堂ですし、外観も一般住宅という建物であり
  ますので、初めて うちの寺院に お越しになられる方も
  迷う事もしばしばであります。近い将来的には小さいな
  がらも、正式な本堂をもたせたお寺に向けた設計段階
  といったところでしょうか。

  このように仮拠点でのスタートですが お寺 ( 布教所 )
  の開設が認められて、拠点となる一軒家を探すのにも
  苦労しました。

  うちの場合探し始めたのが、昨年の3月下旬という季節
  柄もあり、一般流通物件は、ほぼ動き終え後・・・。
  しかも、うちのお寺がある地域は貸家が多い地域では
  なく、自己所有物件ばかりであることも難しくさせていた
  点でもありました。

  しかも・・・これが重要なんですが、ただ住むだけでも
  出物物件は難しい状況のもと、お寺としての拠点でも
  ある点が、借りるのを難しくさせたのも事実でありまし
  た。『 浄土真宗、京都・本願寺 』 と説明しても知らな
  い人が ほとんどであるのが関東の現状ですので、築
  地本願寺の名前を出して初めて、新興宗教ではない
  事をご理解いただきましたが、『 やはり宗教はね。 』
  と言われ断られりましたので、物件が見つかるまでの
  2ヶ月は、精神的にしんどい日々でした。

  ですので、今の拠点を借りれることが決まった時には
  貸していただける!という大家さんの心に正直、感謝
  感謝でした(笑)。そりゃそうもなります、2ヶ月もの間
  来る日も来る日も、インターネット不動産情報の確認
  と不動産屋さん巡りでしたからねえ。まさに 『 およげ
  たい焼きくん 』 の気持ちでした。

  物件が見つかってからも、お寺運営には多くの待ち
  受けているのですが、次回以降ということで・・・。

  今は、焦らず一歩一歩を心がけて、お寺と共に地域
  社会の中で歩ませていただこう!と思っているのが
  現在でもあります。

  Day by day, Step by step !人生と一緒ですよ
  お寺も・・・。



  2007年5月1日(火)
  ハードとソフト 

  先日、ある雑誌社と大手新聞社 ( 配信社 )の
  取材をお受けするご縁が それぞれありました。

  一昨年、都市開教を志して上京して以来、研修
  中から、大手雑誌社や新聞社、そしてマイナー誌
  に至るまで、取材をお受けする機会を何度かいた
  だいておりますが、取材は なかなか慣れないもの
  です。

  取材中にカメラがこちらを向くと、二重顎になりま
  せんように・・・と、心の中で気合を入れながら、口
  元に力を入れて毎回写真を撮っていただいており
  ます。(笑)

  新しいお寺 ( 布教所 ) を開設する!?という事
  が各社、取材の対象になっており、素朴な疑問
  や質問に答える形で1時間から長い時で3時間
  位、お話をさせていただいております。
  
  一般の方の 『 お寺 』 のイメージでは、お寺って
  昔からあるもので、新しくお寺を設立??という
  疑問と共に、ご門徒 ( 檀家さん ) もなく どうや
  って始めるの??という率直な意見から、新しい
  お寺って、日々何をしてるの??という業界紙
  ならではの視点もあるんですよね。

  特に、うちのお寺 ( 川口布教所・善行寺 ) は、
  ニュース&アクティビティーのページの通り、
  子どもさんや親達、そして働いておられる現役
  世代の方々が お越しいただけるお寺!である
  事が珍しいようで、取材の対象にしていただい
  ているのかも知れません。そんな時、いつも
  私は 『 お寺のソフトとハード 』 というお話を
  致します。

  今、地方のお寺だけでなく、都市部のお寺でも
  いかに子ども達やママ達といった、若い世代の
  方々にお寺に気軽に来ていただくか・・・という
  点が深刻になっており、その方策に多くのお寺
  が頭を悩ませているのが実状であります。
  子ども会を開催しようとしても、なかなか集まら
  ない。婦人会 ( 女性会 ) を開催しようとしても
  若い世代の方は一人もいない。という話はよく
  伺います。

  そういった現状の中、少しでも多くの方にお寺
  を知っていただくだけでなく、来ていただくという
  課題に多くのお寺の住職方は取り組んでおら
  れますが、そこには 広い世代の方がお寺に
  気軽に来ていただかないと、次の世代になった
  時、お寺が存続できない、もしくはお寺という
  建物だけになってしまう危機感を持っておられ
  るというのも事実です。

  個人的な意見になるかもしれませんが、お寺
  というのは 仏法を聞かせていただく為の聞法
  の道場という役割と共に、地域の方々にとって
  の こころの拠り所、という役割の両輪が必要
  ではないかと実感し、うちのお寺の活動方針・
  施策としております。

  お困りの時、ご質問がある時、法事の時、何か
  あった時にお寺に来て下さい・・・ではなく、普段
  の生活の中から、何もなくても お寺に立ち寄る
  機会や行事をこちら ( お寺側 ) が設けてこそ
  何かあった時に悩みも打ち明けられるし、困った
  時にもお寺にゆこう!というステップに、初めて
  つながると言えるのではないでしょうか。

  『 お寺は遊び場じゃない!』 『 お寺は聞法の場
  だ! 』 『 昔からのしきたりで そんなことはお寺
  ではできない 』 というワンサイドの言葉を保守的
  な方からは よく聞きます。もちろん一面において
  は間違ってはいないと思いますが、私は先述の
  通り、仏教の教え ( 仏法 )を伝えてゆく、聞かせ
  ていただく場、というハード面の役割と共に、癒し
  の場・楽しめる場・子どもと共に行ける行事や
  活動のある温かい場・ふれあいの場、というソフト
  面の役割が、今後一層お寺には必要であると
  思っておりますし、時には 『 親子で来ていただく
  為とはいえ、お寺でこんな行事をしているの?』
  と言われるかも知れない行事もありますが、分隔
  てなく、多くの世代の方々にお越しいただき その
  ふれあいの中から、ご縁が生まれてゆくきっかけ
  になれれば・・・と考えます。

  お寺のソフトとハード。この両輪が回って初めて
  善行寺は前に進む!と いただきながら、これから
  も このお寺を運営させていただきたい・・・と思い
  を新たにした取材での一コマでした。


  * 今回の取材は、共同通信社 が配信されている
     地方新聞の朝刊に近日掲載。


  2007年4月20日(金)
  お寺の会計事情 

  お寺を運営する為には、様々な経費や費用が
  かかりますが、今回は お寺の会計事情に
  ついてお話させていただきたいと思います。

  私達が、新規のお寺 ( 布教所 ) を設立する際
  浄土真宗本願寺派という宗派の中にある、都市
  開教対策本部という部署で承認をしていただく
  必要がありますが、その際に予算書の提出を
  おこない、それに基づいて毎月お寺の会計報告
  書の提出というものが義務付けられております。

  また、一般の企業と同じように毎月の会計報告
  書の作成と共に、年度末の決算、新年度の予算
  編成というものもおこなっております。

  一昔前までは、お寺と言えばドンブリ勘定!?と
  いう印象が強かったと思いますし、今でも一部
  には、昔ながらの勘定方法で寺院会計をおこな
  っている寺院もあるでしょうが、そういった処は
  必ず税務調査の対象に入ってしまうのが現実
  であります。

  一般に宗教法人は無税で、住職や神官・牧師
  達は税金を払わず のうのうと暮らしているという
  概念が先行しがちですが、法人 ( お寺や神社や
  教会 ) に入るお賽銭やお布施等は確かに無税
  でありますが、住職や神官、牧師さんはあくまで
  そこの代表 ( 一般企業でいう所の社長 ) という
  立場であり、お寺や神社・教会という宗教法人
  から給与をいただく形をとっている所が大半で
  あります。ですので、所得税や住民税というもの
  も当然源泉して支払っております。( 当たり前の
  ことですが )

  そんな事言っても、経費だと言って使えば分から
  ないだろう?と思われるかもしれませんが、勝手
  に法人の財産や預貯金に手をつけることは会計
  報告と合わなくなりますし、不明朗な会計をして
  おりますと、税務署の税務調査されること間違い
  なし!が現実です。

  ですので、うちの場合お布施やお賽銭があれば
  銀行のお寺名義の通帳に入金の上、何処から
  いただいたのか、から 金額、入金日などを全て
  伝票におこしております。

  同じように、経費や布教活動等で発生した費用
  も内容が明記された、もしくはレシートのコピー
  を添付した領収書を出金台帳に記載、何の目的
  で出金の必要があったのか等も記入しており
  ます。ですので、毎月・月末には電卓とレシート
  を にらめっこして、一円でも合わなければ、何度
  でもやり直しておりますね。

  仏教・そして浄土の真実の教えを説かせていた
  だいているはずの僧侶が、娑婆で偽造の会計
  をしていたのでは洒落になりませんし、世間様を
  例え欺く事が出来たとしても、仏様に嘘をつく人生
  となってしまう訳ですから、許される事ではありま
  せん。正に、お寺もご利用は計画的に&会計は
  正確に!でなければならないと、住職は実感して
  おりますね。


  2007年4月1日(日)
  一期一会 

  一期一会・・・、この世界を生きる私達にいただく
  ご縁と、この瞬間の出会いを大切にさせていただ
  き感謝させていただく、この言葉の深さを、最近
  あらためて思います。

  少し前になりますが、住職が ある葬儀を執り行わ
  せていただいた時の事です。ご往生されたのは
  まだ60代の男性でしたが、前日まで元気にされて
  いらっしゃったそうです。ご往生される前の日には
  ご家族で鎌倉までご旅行されておられましたが、
  夜、ベッドに入られ、翌朝 奥様が気付かれた時
  には冷たくなっておられたそうです。

  ご家族の悲しみは言うまでもありませんが、通夜
  葬儀を執り行い、火葬場で お骨になってこられる
  のを待っている間に、故人様のご子息とお嬢様が
  こんな事を話しておられました。

  『 父は、お酒を飲むと “ お父さんは お経が上げ
   られるんだぞー ” と言って、何か唱えておりま
   したが、又 適当な事を言って!と今でも思って
   るんですよ。』 とお話下さいました。

  元々のご出身が北陸の方でしたので、もしかと
  思い、親鸞聖人のお書きになった正信偈の最初
  の箇所である 『 きみょう むりょう ・・・・ 』 と私が
  上げだすと、『 それです!!』 との答え。

  おそらく故人様は、関東に上京され、仕事と日々
  の生活に追われ、お子様達を立派に育て上げ
  ながらの時間であった事でしょう。その中でも
  生まれ育った北陸のご実家で、おじいちゃんや
  おばあちゃんが唱える、朝晩の正信偈が耳に
  残っておられたんだと思います。
  
  ふとした瞬間、それを思い出し ご家族の前で 『
  唱えられるんだぞー』 と言いながら、何十年と昔
  に聞いたであろう、唱えたであろう正信偈・・・。

  合掌され、お念仏し 正信偈を唱えられる姿・・・。

  人間としての いのちのご縁を離れても、それが
  ご子息やお嬢様の記憶の中にあるばかりでなく、
  ご子息やお嬢様達も 『 父があげていた 正信偈
  をあげられるようにしたい。 』 とおっしゃる姿に
  私は胸があったかくなる思いでした。

  いただかれたいのちの中で歩まれたであろう人生
  そのものの後姿が、そして手を合わされる姿が、
  お経をあげておられた言葉と響きが、死・という
  悲しみを超えて、いのちを生かされている私への
  問いであり、出遇いであったといただかれる姿が、
  私にとって、ありのままに尊かったのでした。

  私達、僧侶は お葬式を執り行う回数が多くなると
  ついつい繰り返しの法務になってしまう、いえ・・・
  思ってしまう瞬間がありますが、まさに全ての
  出遇いと別れは、ご縁であり 一期一会の世界で
  ありました。

  ご家族にとっても私達僧侶にとっても やり直しの
  きかない、1回限りの瞬間。そこに私達のいのちが
  ある事を教えていただいたように感じた、その時の
  お葬式での出遇いでありました。

  一期一会、この出遇いとご縁、そしてこのいのちを
  どうぞ大切に・・・。


  2007年3月20日(火)
  お育てにあずかる 

  善行寺の住職 ( 専従員 ) とならせていただき
  あと3ヶ月で1年になります。

  振り返れば、日々 お寺での活動や法話会、又
  ママサークルや家族会など等、実に多くの方
  とのご縁をいただきながらの毎日でしたね。

  最近は、家族ぐるみでお付き合いがあり、毎月
  の法話会にも参加をいただいている
同世代の
  ご家族から夕食を誘っていただいたり、ママサー
  クルに参加されている数家族のご家族と、近場
  の旅行に行ったりと、住職という立場を含めて、
  日々のお話をさせていただいたり、会食させて
  いただく機会が増えてきました。

  『 私は住職!よきに計らえ 』 というのが、私は
  嫌いなタイプの住職ですので ( 笑 )、気軽に
  日々の話や日常の出来事、仕事の悩みなんか 
  を赤裸々に話し合える、今の関係がなんだか
  心地良い最近でもあります。

  そんな何気ない会話の中で、ふと出てきた言葉や
  話の内容から、あらためて寺院という存在の意味
  や、仏教の教えに気付かされる面も多く、まさに
  周りの方に教えていただいているなあ・・・と実感
  するのでもあります。

  そう言えば、昔うちの母が 『 お寺の者は ご門徒
  さんや、周りの方の お育てにあずかる。』 という
  ことを申しておりました。住職として、坊守として
  昨年の6月に出発させていただいた私達であり
  ますが、『 自分の力で住職になったのではない。
  自分のはからいで坊守になったのではない。そこ
  には、お寺にお越しになられる方々、そして ご縁
  をいただいた多くの方々から、支えられて 住職に
  ならせていただき、坊守とならせていただくお育て
  をいただいたのである。』 ということを、最近強く
  実感致します。

  他の人の ありのままの悩み、苦しみといったもの
  だけでなく、人間の生老病死といった 『 いのち 』
  の姿を通して教えていただく世界が現実にあるん
  ですよね。そこには、僧侶という立場ではなく、同じ
  いのちをいただく者として考えさせていただく きっか
  け ( ご縁 ) となり、『 そういえば、これは仏教 (
  浄土真宗 ) の教えに説かれていたなあ・・・とうな
  ずける瞬間でもあるんですよね。

  又、私自身、日々のお寺ライフの中で困っている時
  や、どうしようかな・・・と考えている時にも、周りの方
  や近隣の方々から、多くの支援や励まし、知恵をい
  ただきながらの過ぎ去った9ヶ月であったなあ・・・と
  思い返しております。

  物心両面において、善行寺というお寺だけでなく
  住職・坊守共々、多くの方々からのお育てをいただ
  き、これからも 周りの方々や、ご門徒の方々から、
  お育てにあずかる お寺ライフであることに感謝させ
  ていただく最近の住職でもあります。

  2007年3月10日(土)
  お寺への道・1 

  日々の法務や、法話会・お寺の各種活動から
  子育てサークル等など、お寺の行事が毎日の
  ように続いております。

  住職も坊守も、お寺を中心にして忙しい日々では
  ありますが、お寺にお越し下さる ご縁のある方々
  との時間が、今は大きな充実感となっています。
  まさに、1年前には想像もつかなかった今の現状
  にあることを “ふと” 感じる最近でもあります。

  1年前の今頃は、埼玉県川口市への寺院 ( 布教
  所 ) 設立認可の為、埼玉県内の浄土真宗本願寺
  派・寺院の御住職方との折衝と、地域調査の時間
  でした。毎日毎日、東京都中央区にある 築地本願
  寺内の、本願寺宗務首都圏センターという事務所
  に毎朝通勤電車で通い、ただひたすら許可が下り
  るのかどうか・・・と待ちの日と調査の日々が、朝
  から晩まで続いていました。
  関東の冬は毎日、青空が広がっているのに心の
  中は、毎日グレーの曇り空!でしたね。

  というのも、それ以前に設立を希望していた所では
   ( 首都圏の他の都県の市 ) 様々な状況と事情が
  あり、折衝が上手くいかず、拠点希望地 ( 設立を
  希望していた地 ) を2回変えて、3回目の申請場所
  が川口市であったからでした。

  この近くにお寺 ( 浄土真宗の ) がないから お寺の
  新規設立を認めて欲しい、というこちら側の事情では
  新規に設立できないのが、今の現状でもありますが、
  それは、それぞれのブロックや県の状況というものや
  昔からあるお寺の御住職方の考え方というものもあり、
  一概に ああだこうだと述べることが出来ないのも事実
  ですね。特に問題なのは、無許可で ( ブロックや県の
  本願寺派の お寺の承諾がなく ) お寺を新規設立され
  たり、地方のお寺の分院という形で、勝手に設立され
  たりという状況があるのも、問題を難しくしている一環
  でもあります。

  また、お寺や布教所としての拠点を構えず、お葬式
  会社さんや墓地・霊園業者さんと契約して、法事や
  葬式のみを執り行い、あとは知らん顔・・・。喪主の
  方や施主の方が連絡をとろうとしても、連絡先も分か
  らない、連絡がとれたとしても、49日法要はしない
  から ( 又は お寺を持っていないので出来ないから )
  近くの お寺を探して行って下さい、という いわゆる
  マンション坊主と呼ばれる方々の存在が、既存の
  お寺や住職方の不信感となって、新規の設立への
  承認が慎重にならざるを得ない状況となっている
  のが現状です。

  ですから、私を含め研修を受けて お寺 ( 布教所 )
  の新規設立を目指し、折衝をしてした同期達は、ただ
  折衝が上手くいくことを願いながら待つ。もうただひた
  すら待つ。
私自身も・・・朝から晩まで ひたすら待って
  いましたね (笑)。その時間、研修開始から1年と少々。
  だからこそ、設立の承認がおり 認可いただいた時の
  感動は ひとしおでしたよ。

  実は最終の審議と決定がされた日、審議会場の隣の
  部屋にいたのですが、 会議がされている部屋から盛大
  な拍手が起こり、承認されたことが分かった瞬間、大の
  大人なのに こみ上げて来るものがあったのも事実です。
  
  もちろん、その瞬間から お寺 ( 布教所 ) の責任者と
  して、そして住職として大きな責任と使命の中で、運営
  と設置に関しての新たなスタートとハードルが待ち構え
  ているのではありますが、そのお話は次回以降という
  ことで。

  宗派の順序に沿って お寺を新規に設立するのは確か
  に長い時間と、精神的な重圧もあるでしょうが、だから
  こそ、『 浄土真宗本願寺派 』 という看板を上げさせて
  いただけると共に、同じ県内・ブロック内の住職方から
  の応援や支援をいただきながら、運営に携わることが
  出来るのも事実ですし、善行寺のように活動や行事の
  幅を広げさせていただいているのだろうなあ・・・と実感
  する住職です。

  なんだか春の陽気と冷たい風が混じる季節に、一年前
  の待ちの時間を思い出したのでした。


  2007年2月25日(日)
  お寺があたたかい 

  当サイト内 『 ニュース&アクティビティー 』 のページ
  にも記載させていただきましたが、昨日 遠縁にあたる
  宮崎県都城市にある、浄土真宗本願寺派 摂護寺の
  首都圏 離郷門信徒会 ( 宮崎を離れ、首都圏にお住
  まいの御門徒さんの集い ) に参加させていただきま
  した。

  参加されていたのは、宮崎を離れ もう数十年という方
  から、ご両親が今も宮崎に住んでいるという息子さん
  夫婦、又は 老後の生活の為に、息子夫婦の住む首都
  圏に来られた方々など等、事情はそれぞれですが
  なにかしらのご縁が、宮崎や摂護寺とある方々でした。

  郷里を離れ、関東という九州とは環境も言葉も風習も
  違う地に住み、日々の暮らしに追われながらも、郷里
  にある お寺の事を思い、そのお寺の御住職・前御住職
  そして、役員の方々が来京されるのを楽しみにし、会合
  があれば、久しぶりに会う 御住職や、お寺の役員の
  方々と肩を叩き合いながら、再会を喜ばれる姿に、何故
  か、生まれ育った京都を離れ東京に来た私自身も胸が
  熱くなる瞬間でした。

  皆さんで、お経をあげ、前御住職の法話に耳を傾け
  ながら ありのままにうなずき、歓談の席ではそれぞれが
  笑い、泣き、近況の悩みを 皆の前で打ち明けられ・・・
  なんだか、そうしようとしているのではないと思いますが
  ありのままのお寺の姿であり、ありのままのお寺に集う
  方々の姿であり、お寺と そこに集う人々の素直な関係
  を見させていただいたと実感しています。

  南九州という、ありのままの人柄もあるのでしょうが
  久しぶりに、御住職を囲み お寺で集まられる姿を一言
  で言えば、『 ありのままに・あたたかいなあ 』 という
  のが、しっくりくるように思います。

  例えるのなら、寒い日に外から家に帰った瞬間 『 ホッ 』
  としますが、それにプラス 待ってくれている家族と、気心
  の知れた友人達が 焼酎のお湯割りで迎えてくれる ( 笑 )
  といった感じで、なんとも言えない包み込まれるような
  感覚と心地よさ、そして自然と笑顔が湧き出て、明日も
  頑張ろう!と思える境地でしょうか。

  『 どこに行けばいいのか分からない。』 という不安の中
  ではなく、帰る場所があるからこそ、私達は安心して日々
  が送れると共に、外に出ていても、必ず帰れる “ ところ ”
  に向かえるのではないでしょうか。
  しかも、帰る場所に戻っても、真っ暗な一人部屋ではなく
  そこに、待ってくれている方がいて、共に苦しみや悲しみ
  そして喜びを共有させていただける “ 同朋 ( なかま )”
  がいると、自らの中で苦しんだり、不安に思っていた事が
  自分一人だけじゃなかったんだなあ・・・といただけるの
  ではないでしょうか。

  お寺・・・私は、そういった場が “ お寺 ” というハードで
  あり、待ってくれているのが仏様であり、共に苦しみ悩み
  ながらも励ましあい、支えあって いのちある限り共に
  歩ませていただく “ 同朋 ( もんと ) ” がおられ、 “
  帰るところ ” が 浄土という世界であり、それを確認させ
  ていただく環境としてのソフト提供の場が、本来のお寺
  ではなかっただろうか・・・と、ふと思いました。

  帰るところがあるからこそ、人は安心でき、明日に向える。
  帰ってくるのを待ち続けてくれる方がいるからこそ、人は
  あたたかい気持ちになり孤独ではなくなる。
  共に笑い、泣き、肩を叩きあいながら励ましてくれる仲間
  がいるからこそ、一緒に泣き、笑い、支えあいながら
  この人間界を歩み続けられる。

  深く考えると、お寺本来が持っているハード、お坊さん
  本来が持たなければならないソフトって、なんだか 包み
  込むようにあたたかく、湖の湖面のように穏やかなんだ
  なあと実感すると共に、その責任がある事を実感した、
  この度の築地本願寺での離郷門信徒会での、お寺と
  参加者の方々のありのままの姿でした。

  2007年2月15日(木)
  オンとオフのお寺ライフ 

  2月は逃げる 、3月は去ると申しますが、善行寺住職
  にとっても、今月 ( 2月 ) に入り、既に半分が過ぎま
  したが、まさに慌しく時間が過ぎていってるなあ・・・と
  実感します。

  各種行事や打ち合わせ、法話会や法務等、お寺って
  動き出したら色々と時間の制約を受けるのも事実なん
  ですよ。

  でも、社会人の友人や高校時代の友人などに言わせる
  と、 『 お葬式や法事がなかったら、お寺や坊主って暇
  なんじゃないの? 』 『 平日は法事なんてないだろうから
  ゴルフ三昧でしょ?』 等とよく聞かれるんですが、法事
  や葬式ばかりをしているのが一般では 『 お寺 & お坊
  さん 』 のイメージなんでしょうねえ。

  そんな時、私は 『 じゃあ、教えてあげるから 坊主に
  なってみる? 』 と聞くと 『 ボウズ頭になりたくない 』
  『 修行が嫌だからならない 』 『 朝早いのは苦手や 』
  という答えが返ってきますが・・・。 確かに一般の方々が
  思い浮かべておられるように、一部には 葬式や法事だけ
  をして、法話もしないゴルフ三昧の ( 仏道に反する? )
  形だけ僧侶 ( 笑 )がおられるのも事実です。しかしながら
  大多数の住職は、なんとか法灯・み教えを次の世代に
  伝えようと、日夜頑張っておられるのも事実なんですよ。
  
  それこそ、私だけでなく 『 オフなし 』 の状態の住職は多い
  んですよね。考えてもみて下さい、お盆やお正月は お寺
  ライフの上では繁忙期ですし、土曜日や日曜日、祝日は
  法事が入ってきます。平日には、会合 ( 飲み会じゃない )
  や、うちのお寺のように、ママサークルや季節行事の開催
  があったりしますし、空いた時間や夜には寺報 (毎月発行)
  編集作業やホームページの更新 ( サボりがちですが )や
  他のお寺での講座講師になったりといった具合に、なか
  なかオフにならないのも事実であります。
  
  逆に、週休二日とか決まっておられる 会社員の方々が
  家族を持つ身である住職からすれば、いいなあ・・・と思う
  瞬間があるのも事実です。実際、家族旅行や遠出は考え
  られませんし、うちのように新しいお寺では 『 いつ 』 問い
  合わせや、ご相談の電話がかかってくるか分かりません
  ので、転送電話にしていますが、それでも 急遽・法務に
  出仕となるかもしれない事を考えれば、1泊2日の温泉
  旅行!行きたいけど行けない・・・のが現実ですね。

  新しくお寺をつくられた先輩住職の話なんか聞くと、昔は
  携帯電話や転送電話サービスもない時代だったから、
  いつ鳴るか分からない電話を前に、ひたすら お寺を空け
  られなかった・・・。お寺を新規設立して10年間は家族
  旅行も夫婦揃っての買い物にも出られなかった
と伺って
  います。
  
  ご質問がある方や、お寺に相談に来られた方、または
  葬儀会社さんから、電話があった時に出られなかったら
  もう2度と電話をかけてはもらえない、という緊張感と
  現実の中ですから、当然・オン / オフ の切り替えが
  出来ないのが、お寺 ( 特に新規設立のお寺 ) の宿命
  なんでしょうね。

  『 じゃあ、なんでお坊さんしてるの?』 となるのでしょう。
  私自身、オフ ( 休日 ) がない状態は、家庭を持ち・子を
  持つ父としては、 『 ( 家族に )申し訳ないないなあ・・・』
  と感じるところですが、僧侶・住職という立場になった時、
  それが、『 お寺に来てくださる方々がいる 』・ 『 次の世代
  の方々に、いのちのありがたさ、尊さを 仏教の み教えと
  共に お伝えさせていただく最前線に、今・この私が立たせ
  ていただいている 』 と逆に、嬉しく又 ありがたく感じられる
  からこそ、苦じゃないのだと実感しています。
  単純ですかね?

  泣き言を言い出せば、きりがないんでしょうが、綺麗事
  じゃなく、下段・2月1日付けの日記のように、心から 『
  次の世代に、地域社会に仏教を 』 という思いと信念が
  ないと、なかなか お寺ライフは辛いかもしれませんし、
  そういう思いや目標、そして それが夢とならないと、ただ
  食べる為に坊主をしている、住職をしている、と社会から
  言われても反論できないのではないでしょうか。

  まだまだ、私なんか えらそうな事を言える立場ではありま
  せんが、辛い時も嬉しい時も、お寺と共に、お寺ライフを
  歩んでゆきたいと・・・、オン も オフ もいただいた時間で
  あり、いただいた道であり、いのちであったと思いを新たに
  させていただいた、この2月でもあります。

  2007年2月1日(木)
  幅広い世代の方々と共に  

  先月もお寺では数々の行事が行われ、多くの方々が
  お寺にお越しいただくご縁をいただきました。

  おそらく、昨年6月に布教所として出発させていただき
  半年間の時間が過ぎた中で、最も多くの方が お寺に
  お越しになられた月でした。

  思えば、善行寺ニュース&アクティビティー のページ
  でご報告させていただいた行事に参加された方はもと
  より、この1ヵ月の間には、仏事の相談に自転車でお寺
  まで来られた方もいらしゃいましたし、お子さん連れで
  ちょいと立ち寄っていただいた方々もおられます。

  又、大切にされていた ぬいぐるみやお人形、おもちゃ等
  を 『 お寺で引きとっていただけますか?』 と ご家族で
  相談に来られた方や、お寺の行事やイベントの準備や
  打ち合わせで、お子さん連れでランチを共にされた方々
  等など・・・。

  この1ヵ月だけで、この小さなお寺に幅広い世代の方々
  が、実に200人以上来院され、なにかしらの時間を私達
  住職や坊守と共に共有させていただいたんだな・・・と、
  しみじみ実感しています。

  私自身、善行寺の今の姿を客観的に見た時、世代層で
  見ると、20代から40代の親子連れや家族で行事に参加
  いただいたり、月1回の法話会の場に聴聞にお越しいた
  だいているのが現役世代 ( 30代〜60前半まで ) で
  ある現状は、実際予想していなかったというのが正直な
  気持ちですし、そうして敷居の高さを感じずに、皆さんが
  善行寺にお越しいただくことが、住職として心からありが
  たく感じるのが正直な気持ちです。

  お寺 = ご高齢の方々が集まる場、という先入観を私自身
  少し抱いていたのも事実ですが、開所当初、いえ・・・新たな
  お寺をつくる“ 都市開教 ” に向かわせていただいた時から
  お寺の行事や、来られる世代層、そして寺院の運営方法等
  のモデルとなったのが海外のお寺でしたので、まだ・ほんの
  入り口でしょうが、私自身が持ち続けた“ お寺ビジョン ” に
  一歩近づいているということになるのでしょう。

  住職自身、26歳から31歳までの5年間、海外のお寺 (
  浄土真宗本願寺派北米開教区 / 本願寺フレスノ別院
  で奉職に就かせていただいた時に見た姿が、今の善行寺
  に生かされているのかな・・・と実感しています。

  5年という限られた時間の間でしたが、その間に海外のお寺
  で御法務をご一緒にさせていただいた上席開教使 ( 僧侶 )
  であった、ウィリアム増田・元御輪番や 宮地信雄・現御輪番
  といった先生方が “ 将来のお寺像 ” “ 次世代の方々へ
  仏教の心を ” “ 子や孫へ浄土真宗の伝道 ” という、いわば
  お寺として長いスパンで見たときのビジョンや、それに付随
  した “ お寺としてのソフト ( サービス面・ホスピタリティ )” と
  いったものを教えていただいたお陰が、今の善行寺の寺院
  スタイルにつながっており、幅広い世代の方々が敷居の高さ
  を感じることなく、お寺に立ち寄っていただいている結果に
  結びついていた “ ご縁 ” であったと 今・いただいています。

  子供連れ、親子、家族、現役世代の方々・・・全て海外寺院
  での “ お寺に来る ” キーワードでした。もちろん地域性と
  いうものもあったのでしょうが、善行寺の周辺地域が ちょうど
  そういった世代の方々と、上手く合わさった・・・それも“ ご縁 ”
  だったのかなとも思います。

  思いますに、これは善行寺と 私達住職夫婦のお話にとどま
  らず、皆さんの人生や生き方、日々の仕事にも当てはまる
  事ではないでしょうか?

  人生において、いただく多くのご縁や経験、そしてその中で
  感じたことや発見・・・そういったものが、私達の人生を彩り
  ながら、人生における新たな “ 種 ” となり、いつか実になる
  “ 因 ” となる。大切なのは、そうしていただいた “ 種 ” を
  いかに次につなげさせていただくか、いかに生かせてあげら
  れるかということではないでしょうか。

  2007年1月・来院者数 200人という数。その数字に驕る
  事なく、地域のお寺・世代を越えたお寺への “ ご縁の種 ”
  であり、諸行無常の世界の中、残すものは残しながらも
  新たに目指す次世代への “ お寺ビジョン ”に向けて進化
  し続けてゆけるお寺でありたいと実感した住職でした。

  2007年1月15日(月)
  こころのオアシス・こころのステーション  

  善行寺ニュース&アクティビティーのページでもお伝え
  した通り、先日 当寺院で親子連れのアクティビティーで
  ある 『 新春 ・ Kid’s お餅つき&書初め大会 』 を当寺院
  で開催しました。

  事前に告知もしていませんでしたので、どれくらいの方が
  お越しになるか、坊守共々心配しておりました。
  と言うより、当初は近隣のお子さんと保護者の方だけで
  ひっそり?!と考えておりましたので、実際蓋を開けて
  びっくり!とは、まさにこのことでした。

  平日の午後という日程にもかかわらず、集まられた親子
  70人。実に28家族の方が参加いただく結果となりました。
  初めてお餅つきに参加された お子さんはもちろん、お手伝い
  いただいた保護者の方々も、試行錯誤の中での初体験で
  した。

  だからこそ、多くの方のご協力をいただき、無事に終えた時
  には、家族で参加できる 『 お寺の行事 』 として開催させて
  いただけたことを嬉しく思う住職でありましたし、この会が
  終わった後も坊守 ( 住職の妻 )へのメールには参加された
  多くの方から、参加できた喜びと楽しかった感想メールが
  夜中まで続いていたようです。

  昨年の6月、いえ・・・『 お寺のない地域にお寺をつくる!』 と
  いう 『都市開教 』 を目指した時から、親子・兄弟・家族で
  気軽に参加出来るお寺の行事と、気軽に来れるお寺像を
  思い浮かべながら、一つの運営指針として持ってきた日々
  でした。

  考えますと、おそらく戦前までは お寺が地域社会( まち )の
  ステーションであり、法話などを通して地域社会のこころの